アイポッツで始終音楽を聴いている。
財布を忘れても取りに帰るかわからないが、アイポッツを忘れたら取りに帰りたい。っていうかとにかく帰りたい。
聴いている曲を途中で止めるのがあんまり好きではない。むかしコンポを使っていた時も、「この曲を再生し終えたら終了」みたいなボタンがあればいいのに、とか思ってた。リピートとかシャッフルと同じくらい革新的な機能だと思う。音楽は、聴き終えたときが一番よい雰囲気を持つ。って、あたりまえか、「この音いいね」って思った時にはもうその音は鳴り終えている。「この曲好き」って云う頃にはその曲は大抵終わっている。
曲の終わりと目的地への到着を時間的に整合させるのが、癖になっている。そんなんで、今日もまた曲がいいところで終わる様に時間調整をしながら歩く。本屋の前をゆっくり歩いていると、能のシテ方が表紙になっている雑誌が目に飛び込む。サライだ。サライってどんな意味だ。わかったところで意味はないけれど。ムーでもいいよこの際。
とにかく能・狂言の特集なようで、手に取ってページをめくると、大変に充実した特集内容。
「能楽一番の危機は、世界無形文化遺産認定のとき。能が<遺産>になってしまった」こういうのって引用していいの?だめなの?しぬの?
今夜はライブに行くというのに、お金もってないのに、また買った。これだから都会はだめだよ、お金使わなきゃ生きていけないんだよ、誘惑多すぎ、楽しいことおおすぎ。
先般養老先生がおっしゃった、都会は頭を使わないでいいようにできている、という発言を想う。道が凸凹だったら、気を付けて歩くだろうに。楽しい事がなければ、自分で楽しくするだろうに。
mixiのニュース記事だったか、わかものがカイシャを選ぶ理由としてトップに来たのが、「会社の安定度」だという。ここまで自己諧謔的な記事を、しかし頻繁に目にするようにもなった。かつて「子供に将来の夢を聞いたとき、医者か弁護士、などと答えるようになったら、国は終わりだ」という言葉を聞いた。彼は続けて、「そうなるくらいなら、『ハイ!兵隊さん!』と答えられる世の中にしてしまえ」と云っていた。気持はよくわかる。あなたなかなか気骨のある青年ね、ネジにおなり、まさかの機械化!とか。
都市には楽しいことも楽しくないことも多すぎる。物事が多すぎる。支払が多すぎる。ボタン一つで店員を呼びすぎる。そのうちロボッツが食事を運ぶのが普通になるんだろうか。ロボが運んでもいいけどさ、人と会わない日が増えそうだ。いまだって、渋谷だって、あれだけ大勢の人々が一斉に歩いてるのに、人と会う、というのとは違う。袖触れ合うも、と云ったところで、袖触れ合いすぎ。やんぬるかな。
その意味で都市において人と会うのは嫌いだけれど、好きな人と会うのは好き。会いたい人には会いたい。なんであいたいんだ、シブヤでだってごめんねおまたせ〜とかいって毎晩多くの人が待ち合わせている。こないだなんかどう見ても合コン、ってグループが待ち合わせてて、先導する男性陣の後ろにつく女性陣、早くもささやき合う、えーなんかチガクネ?とか云ってる。云ってないかも。
それより能だ、能の話だ。
サライの特集がとてもおもしろい。
「サライ」2009年5号
こういった冊子における中身の良い特集は探究心を惹起するから、これは小学館のひとたちはいい仕事をしていると思った。
ダザイが好きだ。でも好きだからと云って、何人の女性と心中を試みたかとか、どこで没ったかとかを知っているわけではない。もし本屋に行って何か読み物をあさるなら、テレビ雑誌よりもダザイを探す。登山雑誌もいいけれどポォを探す。道端に落ちてるフリーペーパーよりもアンネのキティがいい。女性セブンよりはムーを探す。諸君!よりはジャガーを探す。一ヶ月で一千万!誰でもデキるFXの極意よりはわたしはこれで落としました〜女を口説き落とす100のことばを、うーん。。。
好きにもいろいろあるし、嫌いにもいろいろある。
「幸せな家庭は一様に幸せだが、不幸な家庭はそれぞれに不幸だ」
いまはもっと、いろいろな幸せも氾濫している。
違うかな、不幸の種類がさらに増えたのかな、病気のように。
眠い、、、眠いぞ、、。
能が好き。
戯言をヌカす暇が、ようやくちょっとできたんだ。
時間があるとすぐにたわごとをぬかすから、忙しい方がいい。何かやっている、そういう方が、佳い。